
日本ラジオ歌謡研究会の沿革に代えて
工藤 雄一
終戦翌年の昭和21年5月、荒廃した日本人の心に夢と希望を与えようと歌番組「ラジオ歌謡」がNHKラジオ第1放送からスタートした。「ラジオ歌謡」とはこの番組で流された歌をいう。一日10分、週5回で1曲の放送が多かった。よく知られている歌は、「朝はどこから」「山小舎の灯」「夏の思い出」「さくら貝の歌」「あざみの歌」「白い花の咲く頃」「山の煙り」「森の水車」「チャペルの鐘」「雪の降る町を」などで、16年間続いた。全部で845曲であった。しかし、これらのいい歌がなぜ歌われなくなったのか。楽譜や音源はどこにあるのだろうか。「これらの楽譜や音源を入手したい。そして歌いたい!」そんな思いが、私をラジオ歌謡研究の道へと駆り立てた。
2000年11月のこと、私は自分のコンサートのアンコールでラジオ歌謡「山の煙り」を客席の皆と一緒に歌った。このとき私は、大きな声で歌う秋田市文化会館満員の1200名による会場の歌声に感動した。と同時にラジオ歌謡がこれほど多くの人に愛されていること、そしてこういう歌を歌いたい人がたくさんいるんだということを痛感したのだった。この経験が決定的な契機となり、2002年初め、私は友人たちとラジオ歌謡研究会を発足させて定期的に会合を持ち、ラジオ歌謡を歌ったり、会員が持ち寄った資料を討論して楽しむことにした。初めは楽譜や音源そして資料などもごくわずかであった。発足して半年後の6月、思いがけないことが起きた。東京の古賀政男音楽博物館主催の「ラジオ歌謡展」を見に行ったときであった。たまたまそこの掲示板で資料提供を求めたところ、しばらくして細谷幸世さん(東京在住)、小林利保さん(名古屋市在住)らから貴重な資料が送られてきた。それによってラジオ歌謡の曲名だけでなく、作曲者、作詞者、歌手等が明かになっていった。同年8月には、私が河北新報(本社、仙台市)から依頼された論壇に「ラジオ歌謡の復活を」を書き、東北一円から40通を超える反響があった。その中に全音楽譜出版社があり、同社から私に楽譜集の編著者の依頼が来て、2003年8月、「思い出のラジオ歌謡選曲集」が出版された。この曲集は全国の音楽ファンから熱い支持をもらった。ラジオ歌謡の楽譜は、絶版になってからすでに40年近く経っていた。私はこの楽譜集に、ラジオ歌謡、全845曲の曲名リストを、楽譜の所在情報を含めて載せた。そして、「ラジオ歌謡」を次の世代に残すために、日本のどこかにあるはずのラジオ歌謡の楽譜を研究会へ提供して欲しいと書いた。そのため全国から、さまざまな情報や楽譜が送られて来るようになった。そして2004年8月には続編が出版された。
ラジオ歌謡研究会の目的は、ラジオ歌謡を普及し、後世に残すことである。この目的に沿ったこれまでの活動は、「ラジオ歌謡を歌う会」や「ラジオ歌謡コンサート」(2004年6月秋田市のアトリオン音楽ホール、2005年6月秋田市文化会館大ホール)の開催、CD「工藤雄一ラジオ歌謡を歌う」の発売(2004年8月)などである。
「ラジオ歌謡を歌う会」は、2004年4月以来、月一回、秋田市のジョイナスを会場に実施してきた。2005年6月からは同市旭北地区コミュニティセンターに移ったが、その参加者は、我々の予想をはるかに超え、回を重ねるごとに増え続け、2006年に入って参加者は定常的に70名前後で推移し、登録人数は230人を越えている。
参加者たちの、ラジオ歌謡を熱唱している表情や話などから、ラジオ歌謡とは、単に懐かしいだけのものではなく、強くその人たちの心の支えになっているものだということが分かった。そしてラジオ歌謡のような、きれいな日本語の歌、明るい歌を大きな声で歌うことこそ、今を生きるために参加者が求めているものであると確信するに至ったのである。
これはまさにラジオ歌謡の大きな魅力なのではないだろうか。また、この会はただ歌うだけでなく、その歌の誕生秘話や作詞者作曲者のこと、時代背景なども解説している。
過去4年間にわたるラジオ歌謡研究会の活動は、資料を提供してくれた音楽関係者を中心に、全国15都府県に数十名の会員を擁するまでに成長してきている。名称も、2005年に入って日本ラジオ歌謡研究会になった。全国の中心の事務局が秋田市に置かれていて、2006年6月東京支部が立ちあがり、その他の地域でも支部結成の動きも出てきている。会員は各都市で中心になり、ラジオ歌謡の研究会、コンサート、歌う会を開催し始めている。秋田の本部では2006年6月定例年次総会が開催された。現在NPO法人化をめざしていて、日本ラジオ歌謡研究会はますます大きくなりつつある。